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自然とツナガル、人とツナガル、わたしとツナガル  

僕が大手企業サラリーマンから農業家になった理由


農業に興味をもったきっかけ

もともと大阪生まれの僕が農業や自然体験に興味を持ったのは、
専業農家をやっていた祖父の存在が大きいんです。

こどもの頃、
丹波ささやまの祖父の家に遊びに行くのが楽しみで、
学生時代に農作業などの手伝いをしているうちに、

"四季を肌で感じられる自然の中での体験や農業って面白いな〜"
そう思ったのがきっかけなんです。

大学卒業するときには、

農業をやりたいことを家族や周りに相談したんですが、
その時は、
『そんな不安定な仕事はあかん!』と反対されて、
そんなものかと思いあきらめていました。

一部上場企業のサラリーマン時代

そして、周りと同じように就職活動をして、
関東の一部上場企業へと就職しました。

システム部門に配属となり、
システムエンジニアという職種でした。

その頃は、パソコンやサーバーに囲まれたオフィスの中、
早朝から終電までパソコンに向かう毎日。
会社へ泊まることもよくありました。


仕事は達成感があるし、面白い面もあるけど、
こんな生活続けてると体には良くないな〜と感じる日々。

その証拠に、
アトピーも年々悪化していきました。

かゆみもとまらず、掻きすぎて、肌はもうボロボロ。

「昼からお酒飲んでいるのか?!」といわれるぐらい、
顔も体も真っ赤な時もありました・・。

少ない夜中の睡眠中や休日でも
仕事の電話は掛かってくることもよくあり、

この頃は、なかなか気が休まらず、
携帯が鳴るとよく『ビクッ』としてましたね(笑)

こういう日々が続くと
だんだんこころも身体もすり減っていきました…。

もっと人間らしい生活がしたかった

この頃は、海の近くに住んでいたので、
仕事でストレスが溜まるといつも海に出かけていましたね。

波があれば、波乗りをして、波がなくても、海を眺めて
ぼーっと潮風に吹かれているだけでも、気持ちが落ち着きました。

慌しい生活から離れて、たんたんと流れていく、
自然の中にいることで、とても癒されていたんだと思います。

【もっと人間らしい生活がしたいなぁ〜】と
思いながら。

そんな中思わぬタイミングの言葉が、
僕の気持ちを刺激しました。

それは、会社の上司との面談。

話の流れで、
『原田くん10年後どうなっていたい?』
と聞かれたんです。

もちろん上司の言う10年後は、会社内の10年後の姿。
ですが、僕にふと思い浮かんだイメージは、
なんと『畑の中にいるイメージ(笑)』

そんなことは、当然上司には言えなかったのですが、
その思いが、刺激されてしまうと日に日にその想いも強くなり、

会社員をしながら農業をするという条件のもと家族に相談して、

会社を辞めて、関東から丹波さそやまの祖父の家へ引っ越すことに!!

まずは、できることから一つずつ

丹波の祖父の元、兼業農家という働き方は、
僕にはとても合っていました。

平日は会社で働きながらも、土日や早朝で、
自然の中に身をおいて、土や作物に触れ、
自然のにおいを感じているだけで気持ちも落ち着き、こころのバランスが取れたんです。

はだしで田んぼに入ったり、子供たちと
たけのこを掘ってみたり、日々、いろいろな感動がありました。

新緑のモコモコした山や星空なんか、ボーっと眺めているだけでも、
かなり癒されましたね(^ ^)

ただそこにいるだけで、五感が悦びを感じる。

本当に自然の大いなる力に感謝する毎日でした。

週末や早朝で本気になって、一生懸命に作物の世話をして
いい作物ができたとき。

それを食べてくれた人や家族が『おいしい』と喜んでくれたとき。
こんなに嬉しい事はないなと思ったんです。

そして、気づけば、酷かったアトピーも薬も使わず、
かなりマシになっていました。

そして妻からは、「性格も丸くなったよねー(^ ^)」
と言われるように(笑)

あとは、子供がまだ小さかった頃は、一緒に田植えをしたり、一緒に育てた作物を家族で食べる事で、
自然と子供に食べ物の大切さや採れたての野菜の美味しさも伝えることができていたように感じています。

本当にやりたいことで生きていきたい

そんな生活も7年を迎える頃、兼業農家の生活もいいけど、
もっと農業や自然体験の割合を増やせたら、楽しいだろうな〜。
そう思うようになっていたんです。

ただ、会社を辞めるとなると妻も子供もいるし、不安定やしと
いろいろ不安な想いがでてきました、、。

しばらくは、『辞める⇔辞めない』
をずっーと悩んでループしていましたね…。

そして僕の本当にやりたいことはなんなのか?
どういう生き方をしていきたいのか?をよく考えていました。

そんな中で、
自分の好きで、得意なことで生きている先輩や友達とたくさん出会うこともあり、
いろいろや価値観や生き方があることを知りました。


自分もどうせやるなら、死ぬときに後悔しない生き方をしよう!
という考えに至り、器の大きい嫁さんが背中を押してくれたこともあり、
会社員を辞めて今の活動をするようになったんです。


そんな事を、数年経った後に振り返ってみると、僕がこういった経験をしてきたのは、
きっと、以前の僕のように、都会に住んでいて、日々、仕事や家事・育児に忙しく、なかなか家族や自分自身と向き合う時間が取れなかったり、
子供たちに、食べ物の大切さを実感してもらうような場所が持てない方々のために、

元々、都会育ちで、関東の一部上場企業を家族がいる中、辞めてまで現在の活動を行っている僕だからこそ気付けたり、
皆さんの気持ちにも共感できる、そんな機会を作るためなんだろうなと思ったんです。

そして、現在は、【小学生までのお子様をお持ちで、自然体験・食育に関心のあるお母さま、お父さまに、
土いじりを通して、食べ物の大切さについて気付いてもらいながら、家族の絆を深める「農業体験ナビゲーター」】として
活動を行っています。


その結果、お蔭様で、
たくさんの方に喜びの声 を頂くようになりました。


ぜひ、あなたもご興味あれば、一度、気軽に来れる日帰り体験に遊びに来てくださいね。
子供が大きくなってしまうのはあっという間、
そんな貴重な時間に、子供も大人も自分の心と身体を作る食べ物の大切さに気付いてもらいながら、
家族の絆をを深める。

そんな 一生もの経験をすることができますから。



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いつも応援頂きありがとうございます。
はらだ農園 原田 憲一


スタッフ紹介




ゲストルーム















原田 憲一(はらだ けんいち)大阪市出身、兵庫県篠山市在住

22歳で一部上場企業へ就職し、関東(東京、神奈川、埼玉)へ、
27歳でUターンにより兵庫県へ。

2007年より祖父のもと農業を経験。

趣味:サーフィン、自然遊び

好きなアーティスト:サザンオールスターズ




原田 沙奈江(はらだ さなえ)

はらだ農園の 調理・菓子製造担当。

大阪府茨木市出身、兵庫県篠山市在住

小学校高学年か中学生くらいから、
料理やお菓子作りに興味が湧くようになる。

電子レンジが普及し出した時代から、
ガスオーブンとにらめっこしてお菓子を焼く日々。

もちろんタイマー機能は無いし、
温度は温度計を見て自分で火力を調整。

そんなめんどくさい事をしてもやりたいぐらい、
昔からお菓子作りが大好きでした。


栄養士課程の短大と製菓学校を卒業。
給食を扱う会社に就職し、厨房で働くことの楽しさに気づく。

そして、主人との結婚を機に関東へ。
埼玉、茅ヶ崎、横浜と色んな所に住み、その間に長男、長女を出産。

その後、
「篠山で農業をしたい」という主人に
「うん、いいよ。」と返事をして主人の祖父母と暮らすことに。

周りからこの事についてよく聞かれますが、
私はなんとも思いませんでした。

普通は、奥さんが田舎に住む事を反対するみたいですね(笑)
不思議です(^-^;

現在は仕事を辞めて、
はらだ農園の調理・菓子製造担当を楽しんでいます。

ブログでは料理やお菓子のレシピも公開していきますね。

はらだ農園:お料理とお菓子係のブログ
https://ameblo.jp/haradasanae



原田 千鶴代(はらだ ちづよ)

庭とはたけ仕事、猫たちのお世話担当

歌が好きなので。ときどき民謡を歌っている声が
聞こえてくるかもしれません。
耳が遠いので、大きな声で話しかけてね。



ふくちゃん:オス(15歳※2019年時点)

一番、人懐っこい茶トラのねこちゃん。

触ったり、エサをあげるなら、
この子が一番!!!



くろちゃん:オス(1歳※2019年時点)

黒くてツヤツヤの毛並みが自慢!

やや人見知り。
少し慣れると、触ったりエサを食べてくれるかも。



しまちゃん:メス(1歳※2019年時点)

キジトラでかなりの人見知り。

近くに寄れたら、
かなりのネコ上級者?



ちびちゃん:メス(2歳※2019年時点)

くろちゃんとしまちゃんのお母さん

結構、人見知り。でも、食いしん坊なのでエサに弱い。
しまちゃんとの違いは目の色(黄緑色)


店舗写真

information店舗情報

はらだ農園

〒669-2145
兵庫県篠山市今田町木津581
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